筆者の紹介:南野 風
NYの松井選手。新人王こそ獲れなかったものの、移籍1年目のシーズンよく頑張ったと思います。彼の魅力は、その記録より人間性にあると思います。
マイブームは、野球のトレカ収集。先日、念願の松井選手のジャージーカードを引き当てました。今、家宝として我が家のサイドボードに飾ってあります。
最近、CTスキャンによる検査に異常なしの診断を受けて、タバコをさらにセーブせよ!との指令が降りてきました…。禁煙は無理っぽいので、節煙を心がけている自称28歳の万年青年。

あっ!
というまに1月も半ばを過ぎ、新しい年が明けて早くもひと月が経とうとしている。
1年の12分の1が消化されたことになる。「光陰矢の如し」というが、歳月の経過は本当に速いものだと思う。
そんな1月の昼下がり、たまには家族で博物館にでも行ってみようか? ということになった。
「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」
以前から、機会があれば…と思いながら、なかなか訪れることができなかったので、とても楽しみだ。
そんなわけで、今回の取材は久しぶりに家族で行ってきました。

この博物館は、平成12年11月にオープンしたばかりの県内でも比較的新しい博物館だ。
船橋市海神の飛ノ台貝塚の存在は古くから知られていたが、平成5年に合葬人骨が発見され、全国的に注目されるようになった。その後、貴重な遺跡を保存するとともに、飛ノ台貝塚や市内の縄文遺跡から出土した遺物を展示する縄文専門博物館として広く一般に公開されるようになった。
現在までに、住居跡25軒、炉穴約400基、貝塚約40ヵ所が発見されている。


◆目次◆
1、 「飛ノ台貝塚」概要
2、 さっそく「飛ノ台史跡公園博物館」へ!
3、 「飛ノ台貝塚」の発見・命名者である杉原荘介氏について
4、 「縄文体験ワークショップ」にチャレンジしてみよう!
1、「飛ノ台貝塚」概要

「飛ノ台貝塚」は、船橋市海神4丁目の市立海神中学校校舎およびその西側にある約7000年前の縄文時代早期の遺跡です。
この遺跡は、1932(昭和7)年、杉原荘介氏によって発見・命名されました。
その後、日本で初めて「炉穴(ろあな)」が発見され、考古学史上重要な遺跡であることがわかったのです。
「炉穴」とは、縄文時代早期特有の遺構で、戸外で肉や魚介類などの燻製作りや煮炊きなどを行う調理場のことです。
以降、各地で同じような「炉穴」が見つかり、縄文早期の特徴的な遺構として広く研究が行われるようになりました。
「飛ノ台貝塚」は、過去の発掘調査から、多くの「炉穴」を持つ縄文早期の集落跡であることがわかり、旧石器時代の石器工房跡や古墳時代の住居跡なども発見されている複合遺跡です。
当時、飛ノ台周辺は、海と山に囲まれた最高の環境条件に恵まれ、周辺の遺跡群に先駆けて、人々が定住生活を始めていたことが確かめられています。
このような遺跡を保護するために、船橋市は1997(平成9年)年、「飛ノ台貝塚」を市指定史跡として保存し、活用していくことにしたのでした。
2、さっそく「飛ノ台史跡公園博物館」へ!

「飛ノ台史跡公園博物館」のリーフレットや定期刊行物「とびのだい」には、キャッチフレーズとして「縄文多空間スペース」の文字が印刷されています。
「多空間? 何だかよくわからないけど、すごいのかな…。」というのが、その時の印象でしたが、なるほど入館してみて納得! です。

「飛ノ台史跡公園博物館」の外観は、一見学校の体育館風ですが、4階建ての近代的な建物で、採光が良く周辺を見渡せる3階のワークショップ・休憩コーナーや昇降階段部分と空調設備が快適に整えられた展示スペースで構成されています。
館内は、思った以上に広々としており、ゆったりと楽しむことができるのがいいですね─。
それでは、さっそく1階から紹介してみましょう!!

□1階:ギャラリー
まずここで案内映像を見てから出発しましょう。

ギャラリーには、「縄文服を着て、記念写真を撮ろう」というコーナーが設けられており、その名の通り、麻ひもで再現した縄文服を着ての写真撮影ができるんですね─。
撮影はインスタントカメラを使用し、1枚150円です。
このコーナーはいつでも利用可能ですので、受付まで気軽に申し込んで下さいね。
(これで、オイラも気分は縄文人なのさ! しかもかつらまで用意してありましたよ─)

「色紙を使って土器を折るコーナー」なども楽しそう。
ここで、折り方のマニュアルが掲示されていましたが、この折りとアイデアは秀逸です。見事な土器が完成しました!

□2階(展示室):飛ノ台貝塚
このフロアでは、市指定史跡となっている「飛ノ台貝塚」を紹介しています。
● 約7000年前の土器群
ここに展示されているものは、すべて「飛ノ台貝塚」から出土したもので、よく見ると底が尖ったものから平らになったものまであることに気づきます。
土器も年代とともに、進化していったことがわかりますね。
●「炉穴」の模型
「炉穴」の模型です。
スイッチを入れるとゴゴッと作動し、火が点き、湯気まで出て来る仕組みになっています。(本物の火と湯気ではありませんので、ご安心を…)
● 合葬人骨(レプリカ)
1993(平成5)年の発掘調査の時に抱き合うような形で埋葬された男女2体の人骨が発見されました。
夫婦、または兄妹ではないか、ということですが、死因などは不明です。
● 竪穴住居(復元住居)
発掘された住居跡を元に復元されたもので、実物の約90%ぐらいの大きさだということです。
角が丸くなった長方形のような形で、風通しが良くなかなか快適そうな感じです。住居の中には、はっきりした炉はありません。
これらは、体感できるに等しい貴重なモノと空間です。
等身大の縄文時代と言っても差し支えないでしょう。見て感じて味わえる縄文空間、いつの間にかタイムスリップしたような錯覚に、いろいろな思いを巡らせてみるのも、また楽しい。

□3階(展示室):縄文時代の船橋

船橋市内には、全部で191ヵ所の遺跡がありますが、内、縄文遺跡は現在確認されているだけでも94ヵ所あります。
当時の海岸線は、今よりも陸地寄りでした。多くの遺跡群がそうであるように、市内の貝塚も近くに食糧が豊富な海や川、森林という環境に恵まれていたわけです。
「飛ノ台貝塚」は、海老川や長津川を東に見下ろす標高約15mの台地上にありましたが、海に近く北には林があったと考えられています。
このフロアでは、市内の主な縄文遺跡を中心に、出土品やレプリカ、体験コーナーなどを設けて、展示・紹介しています。

右は、縄文人のムラを復元したジオラマですが、すごくリアルに再現されているのがわかります。
(住居の手前で、何と魚の干物を作っていたりする…。う〜ん、味わい深いな縄文人。)
市内で見つかった最大の土器は、「海老ヶ作貝塚」出土の埋(うめ)がめです。「海老ヶ作貝塚」は、縄文時代中期の貝塚で、現在の大穴南の住宅街にあたります。埋がめは、埋葬に使われた土器のことです。

また、「藤原観音堂貝塚」(縄文時代後期)から発掘された犬の骨格をもとにして、「飛丸(とびまる)」という名をつけた縄文犬が復元されていました。人間と同じように埋葬されていたことから、愛犬の死を悼んだ縄文人の心が伝わって来るようでした。

 

ところで、「高根木戸遺跡」から発掘された黒曜石の矢じりと破片。その90%以上が洋上距離にして200km以上も離れた伊豆諸島の神津島産のものであることや、「古作貝塚」から出土したふたと把手のついた土器。その中には52個の貝輪が入っていたということですが、貝輪の中には、伊豆諸島産のオオツタノハが入っていたのだそうです。
(にわかには信じがたい話しですが、)すると何ですか…4500年前、すでに伊豆諸島の島々と何らかの接触や交流があったということになるのでしょうか?
う〜ん、すごいな縄文人…。

また、このフロアでは、「体験・さわれるコーナー」として、貝や糸を使って粘土に文様をつけてみたり、石皿を使って木の実を粉にしたり、あるいは7000年前の貝殻にさわってみたり…とさまざまな体験を行うことができます。(前述した神津島産の黒曜石にふれることもできます!)
さらに、「情報検索コーナー」では、パソコン検索により市内の全遺跡を地図や写真、解説で紹介しています。しかも、それをプリントアウトして持ち帰ることができるというのもうれしいですね─。

3、「飛ノ台貝塚」の発見・命名者である杉原荘介氏について

私が学生だった時分には、中学・高校の社会や歴史の教科書に、「岩宿遺跡」や「登呂遺跡」が収載されていても、また岩宿遺跡の発見者として「相沢忠洋」の名前が収載されていることがあっても、「杉原荘介」という名前にお目にかかることはありませんでした。
しかし、まぎれもなく戦後考古学界の第一人者で、およそその道を志したことのある人なら、その名前を知らない人はいないはずです。
明治大学文学部、考古学研究室の教授として多くの発掘、研究に携わり、日本の考古学史に多大な業績を残しました。
特に有名なのが、「日本にも旧石器時代があった」ことを決定づけた群馬県「岩宿遺跡」の発掘ではないでしょうか。

【略 歴】
○ 杉原 荘介(すぎはら そうすけ) 1913(大正2)年 ─ 1983(昭和58)年
1913(大正 2)年:和紙商の子として、東京日本橋小舟町に生まれる。
1932(昭和 7)年:千葉県船橋市飛ノ台貝塚発掘、「史前学雑誌」に「下総飛ノ台貝塚調査概報」を発表。このとき19歳であった。
1943(昭和18)年:明治大学専門部。文科を主席で卒業。
1947(昭和22)年:明治大学専門部文科講師。静岡県登呂遺跡を発掘。
1949(昭和24)年:明治大学文学部助教授。群馬県岩宿遺跡発掘。
1950(昭和25)年:神奈川県夏島貝塚発掘。
1953(昭和28)年:明治大学文学部教授。
1968(昭和43)年:文化庁文化財保護審議会専門委員。
1983(昭和58)年:死去。享年69歳。

さまざまな文献やHPなどで、その生い立ちや業績、エピソードなどを読んで、改めて深い感慨を覚えました。
命を賭けて…ということばがありますが、考古学にかける情熱は大変なものがあったようです。考古学といえば、一見ロマンと冒険などといったイメージがあるかも知れませんが、現実は妬みと羨望の学問であるように思います。発見・発掘に対する手柄や業績には、妬みがさまざまな中傷や非難となって現れることもあったようです。
それでも、我が道に、迷いなし。その歩みはどこまでも孤高で気高いものでありました。

今、その偉大な足跡を振り返り、改めてその業績の数々に敬意を表したいと思います。

〈主要参考文献〉
● 「日本考古学史辞典」斉藤忠
● 「考古学戦後二十五年史」江坂輝弥(歴史読本1970年7月号)
● 「戦後50年古代史発掘総まくり」(朝日グラフ別冊)
その他、参考にさせていただいたHPとして、
「杉原荘介記念室」
http://www.interq.or.jp/gold/waki/sugihara/
をご紹介しておきます。とても詳細で読み応えのあるHPなので、じっくりと読ませていただきました。

4、「縄文体験ワークショップ」にチャレンジしてみよう!

「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」では、小学生(低学年の場合は保護者同伴)から大人までを対象に「縄文体験ワークショップ」を開催しています。
「どんぐりを使った縄文クッキー作り」や「粘土を使ったミニミニ土器作り」、「綾織り(初級編コースター作り)」、「石を使った勾玉作り」など、バラエティーに富んだ内容で楽しませてくれます。
基本的に土・日に実施していますが、訪れた時には、たまたま開催日ではなかったのが残念でした…。
ワークショップのみ参加の場合は、入館料は無料になります。また、各内容ごとに時間帯・材料費(50円〜100円程度)も異なりますので、開催日・内容等の詳細は、下記のホームページにアクセスして、確認しておきましょう。
【船橋市飛ノ台史跡公園博物館】ガイド
所在地
郵便番号273−0021 千葉県船橋市海神4−27−2
電話
047−495−1325
FAX
047−435−7450
開館時間
午前9:00〜午後5:00(入館は4:30まで)
入館料
一般100円・児童生徒50円(団体20名以上、一般70円・児童生徒30円)
休館日
毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始
アクセス
東武野田線・新船橋駅下車徒歩約8分
京成線・海神駅下車徒歩約15分
東葉高速鉄道・東海神駅下車徒歩約12分
新京成バス・JR船橋駅北口から建鉄循環「海神中学校」下車徒歩1分
「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」のHPは、
http://www.city.funabashi.chiba.jp/tobinodai/index.htm
「企画展」などの行事予定や縄文時代の生活を実体験できる「縄文体験! ワークショップ」の内容と予定などをはじめ多彩な活動を紹介しています。

最後になりましたが、今回の取材にあたり写真撮影等の便宜を図り、お話ししていただいた館長の立田健三郎さんにはいろいろとお世話になり、ありがとうございました。
興味は尽きませんでしたが、かえって謎が増え困っています…。だから、味わい深いとも言えるのでしょうね。

◇◇ 取材後記 〜 わが心、感じるままに・・・。〜 ◇◇◇
考古学の世界は、非常に興味深い。
小・中学生の頃、社会科の授業の一環で郷土の史跡や貝塚を見学に出かける機会がとても多かった。訪れるたびに「なぜ? どうして?」という探求心がたえずつきまとった。見るもの手にするもの、話しに聞くものすべてが新鮮でインパクトがあった。
その時代を、頭の中に映像としてフィードバックさせると、そこには私だけの縄文時代があった…。思いは無限に広がり、いつしか考古学の世界に関心を持つようになっていった。
高校に進学し、部活動に明け暮れるような日々になると、しばらくその世界から遠ざかることになる。大学受験を控え、再び考古学の道が思い出されたが、将来を考えたとき自分の進むべき道として、その選択が現実的でなかったこと、それ以上にやりたいことがあったということで、以降、自分の中では完全に封印されていたのである…。
そんな若い日のことが、しみじみと思い出される。本連載に、博物館や郷土資料館などを訪れる機会が多いのも、そんな背景があるからなのかも知れない…。



● 南野 風さんへのご意見・ご感想はこちらまで・・・minamino@mpchiba.com

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