筆者の紹介:南野 風
NYの松井選手。新人王こそ獲れなかったものの、移籍1年目のシーズンよく頑張ったと思います。彼の魅力は、その記録より人間性にあると思います。
マイブームは、野球のトレカ収集。先日、念願の松井選手のジャージーカードを引き当てました。今、家宝として我が家のサイドボードに飾ってあります。
最近、CTスキャンによる検査に異常なしの診断を受けて、タバコをさらにセーブせよ!との指令が降りてきました…。禁煙は無理っぽいので、節煙を心がけている自称28歳の万年青年。

「千葉四方山話」でもすっかりおなじみになった市川市。 過去には取材で、「じゅん菜池緑地」や「里見公園」、「須和田公園」…などに訪れたことがある。 市川市は、恵まれた自然環境や歴史と伝統に培われてきた町であるとともに、芸術や文化の町でもある。
今回の取材は「市川市の文学散歩」と題して、今まで紹介できなかった市川市のもう一つの側面から、 「文学・文人」をテーマとして、いくつかのオススメコースやスポットを紹介してみたい。

さて、今回の起点はJR市川駅だ。(電車を利用する場合、JR本八幡駅、あるいは京成線市川真間駅や国府台駅、 さらに北総線の矢切駅と…いずれの駅で降り立っても、それぞれの行程で楽しむことができるんですね─。 だから、起点と終点を別々の駅にしてもいいし、時間や目的地に応じてルートを自由に組み合わせて下さい。)


◆目次◆
1、 JR市川駅から桜土手公園通り、真間川沿いを歩く!
2、 市川市を代表する三大文人!
3、 「万葉通り」から弘法寺(ぐぼうじ)へ!
4、 北総線・矢切駅から「野菊の墓」文学碑へ!
1、 JR市川駅から桜土手公園通り、真間川沿いを歩く!

JR市川駅・北口に降り立つと、駅前には「文学散歩」の案内板が建てかけられている。 (何だかこれだけでいかにも文学の町というたたずまいがある…すごいな、市川市。)

案内板でおよその位置を確かめると、まず桜土手公園を目指す。 駅前の通りを右手に行くと、京成線・市川真間駅。住宅地を通り抜け、国府台女子学院の前の通りを直進すると、桜土手公園はすぐだ。 (ゆっくり歩いても15分くらいで着きます。)

桜並木の通りに沿って、遊歩道が続いている。この遊歩道に、一定の間隔で真間史跡保存会により紹介板が建てられており、 市川市にゆかりのある文人たちの功績を称え、プロフィールや作品の一部を紹介していて、 桜土手公園から真間川に沿って左折するこのコースは、「文学の道」とよばれている。 約350mの桜並木は、春先のシーズンには桜のトンネルが真間川まで続き、地元の花見スポットとしても知られている。

建てかけられている紹介板を、順を追って紹介していくと、
万葉集 → 北原白秋(詩・短歌)→ 富安風生(俳句)→ 阪井久良伎(川柳)→ 三島由紀夫(小説)→ 松本千代二(短歌)→ 能村登四郎(俳句)→ 永井荷風(小説)→ 吉田冬葉(俳句)→ 幸田露伴(小説)→ 水原秋桜子(俳句)
つきあたりを真間川に沿って左折、ふもと橋付近から、
中野孝次(小説)→ 井上ひさし(小説・脚本)→ 山本夏彦(エッセイ)→ 宗左近(詩)
まで、全部で15の紹介板が建てられている。

「おいおい、あれれ…」と意外な文人もいたりするので興味深い。三島由紀夫にいたっては、「え゛っ!」という驚きも大きかった。 (う〜ん。三島作品、いろいろ読んだことがありますが、ちっとも知りませんでした…。)
2、市川市を代表する三大文人!

市川市教育委員会が、昭和57(1982)年に発行した「市川の文学」には、近代文学関係で、 伊藤左千夫、夏目漱石、幸田露伴、田山花袋、与謝野晶子、永井荷風北原白秋、谷崎潤一郎、三島由紀夫…といった巨匠をはじめ、 近代文学の作家約90名とその作品の一部が紹介されています。
これらの作家の中で、市川市に最も関係の深い人物の跡を中心にたどったのが「近代文学のみち」で、その人物とは、 永井荷風・幸田露伴・北原白秋の3人でした。

■ 永井荷風
荷風が市川市菅野に移り住んだのは、昭和21(1946)年1月のことでした。 昭和27(1952)年11月には、"穏やかな詩情、高い文明批判、鋭い芸術鑑賞"の三面を備えた創作を成し、 外国文学の移植に業績を上げたということで、市川市では幸田露伴につぐ、文化勲章の受章者となりました。 昭和29(1954)年には、芸術院会員に選ばれています。 荷風は、常々、「自分は市川が好き。市川を墳墓の地と決めた。」と話していたそうです。 昭和32(1957)年3月、京成八幡駅に近い八幡3丁目に土地を買い、家を建てましたが、2年後の昭和34(1959)年4月30日、 日記に1行「四月二廿九日、祭日、陰」と書き残したまま世を去りました。

■ 幸田露伴
露伴は、荷風と同じく昭和21(1946)年1月に市川市菅野に移り住みました。 菅野に来た頃の露伴は、人手を借りなければ上半身を起こすことのできない状態でした。 こうした中で大正13(1924)年から始めた「芭蕉七邪気評釈」の口述を続け、昭和22(1947)年3月これを完成させ、 その年の7月30日、80歳で世を去りましたが、当時の近隣の人ですら、文化勲章受章者、学士院会員、芸術院会員であった幸田露伴が住んでいたことを、 8月2日の露伴葬儀の新聞記事を読むまで知らなかったといいます。

■ 北原白秋
白秋が、葛飾の響きに心引かれ、万葉の古史を慕って二度目の妻江口章子と真間の亀井坊に居を移したのは大正5(1916)年5月のことでした。 「葛飾の 真間の継橋 夏近し 二人渡れり その継橋を」と大正10年(1921)に刊行した「葛飾閑吟集」で歌っています。 その白秋夫妻は、大正5年6月の末には江戸川の対岸、小岩村三谷に移り住むことになりますが、 その借家が、現在里見公園に移築されている「紫煙草舎」です。(拙稿「千葉四方山話:46話」参照) この真間・三谷での生活は、白秋にとって生涯での貧乏のどん底時代であったといいます。

市川市では平成11(1999)年から、市川ゆかりの芸術家や文化人の功績を紹介する「市川の文化人展」を開催しています。 5回目の今回は、市政70周年記念事業として永井荷風を取り上げていました。市川市ならではの初公開資料も展示され、 市川における人間荷風を紹介し、好評を得ていました。 市川市には、現在でも著名な文化人や芸術家が多く在住し、活動の拠点としていることから、こうした方々の業績を広く紹介するため、 今後も文化人展を開催していくとのことなので、興味のある人はぜひチェックしておきたいものです。

3、「万葉通り」から弘法寺(ぐぼうじ)へ!

この通りは、商店街の名称から一般的には大門通りとよばれているのだが、別称「万葉通り」ともいう。 なぜ、「万葉通り」かといえば(実際に歩いてみれば、その理由がすぐわかるのだが…)、 弘法寺に至るこの道は、通りに面した民家の壁やブロック塀に、市川市の書家による「万葉集」中の和歌を、パネルにして掲示してあるからだ。

この道を、パネルを楽しみながらゆっくり歩く。まもなく「真間の継橋」(ままのつぎはし)が見えてくる。 その脇の参道を行くと、「手児奈霊堂」(てこなれいどう)だ。

    
【万葉集中の「手児奈伝説】
葛飾の真間に美しい娘、手児奈が住んでいました。手児奈は、毎日真間の井に水を汲みに来ました。 その姿を見かけた村の若者たちは、次々に手児奈にプロポーズするのですが、手児奈は多くの若者たちの中から一人を選ぶことができず、 思い悩んだ末に真間の入江に入水してしまいました。手児奈を偲ぶ歌が、「万葉集」中に山部赤人や高橋虫麻呂といった歌人らに詠まれ、 広く知られています。
「われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥津城処(おくつきどころ) 山部 赤人」
「奥津城」は、お墓のことで、当時お墓があった場所にはお堂が建てられ、これが現在の手児奈霊堂となっています。


■ 真間の継橋(市指定重要有形文化財)
その昔、市川北部の台地と南に形成された市川砂洲との間には、現在の江戸川に流れ込む真間川の河口付近から、東に奥深い入江があり、 当時は片葉の葦やスゲなどが密生していたという。この入江を「真間の入江」とよび、手児奈の伝説と結びつけて現在に伝えられた。

砂洲から国府台の台地に登る間の入江の口には、いくつかの洲ができていて、その洲から洲に掛け渡された橋が、 万葉集に詠み歌われた「真間の継橋」だ。
「 足の音せず 行かむも駒も 葛飾の 真間の継橋 やまず通わむ 」
(足音がせずに行く駒がほしい。葛飾の真間の継橋で、いつも手児奈のもとに通いたいものだ。)

■ 真間山弘法寺(ままさんぐぼうじ)
天平9(737)年、行基菩薩が来錫し、真間の地に語り伝わる手児奈の霊を供養して寺を建て、「求法(ぐほう)寺」と称したが、 その後、弘仁13(822)年、空海(弘法大師)によって、この山上に七堂伽藍が造営され、「真間山弘法寺」と改められたのが、起こりとされている。 建治2(1276)年、日蓮の六老僧の一人であった日頂により日蓮宗に改宗され、現在に至っている。

「万葉の道」の突き当たりが弘法寺への登門になるが、階段はなかなかの急坂でかなりきつい。 左手はなだらかな坂道がカーブしているが、こちらは主に車両用で参拝客の多くは、階段を利用していた。

境内には、俳人「小林一茶の句碑」や「水原秋桜子の句碑」などが建てられている。 また「伏姫桜」とよばれるしだれ桜があり、満開の季節には多くの参拝客の目を楽しませてくれる。

通りの向こう側は千葉商科大学。沿道の道には、エノキやコブシの巨木があり、壮観であった。 真間山頂から見下ろす市街周辺、吹く風に古の情景をダブらせながら眺めてみると、何だか感慨深いものがある。

ここまで紹介してみた市川市の「文学の散歩道」。 散策マップ(JR市川駅前に建てかけられている案内板と同じもの)は、市川市役所のHPで閲覧することができるのがうれしい──。 出かけるときは、プリントアウトしてもって行こう。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/furusato/sanpo/bungaku.htm

市川市役所のHPでは、観光情報や地元のスポットについての詳細な情報もたくさん紹介されているので、周辺の情報収集には大いに参考になるはず。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/

4、北総線・矢切駅から「野菊の墓」文学碑へ!

「矢切の渡し」といえば、あまりにも有名。 でも、その名前からわかるように、矢切はお隣りの松戸市にある。 今回は文学散歩ということなので、市川市内の最寄り駅から徒歩圏内にある「野菊の墓」は、ぜひ訪れてみようと当初から予定に組み込んでいた のだ。

さて、「野菊の墓」文学碑は、北総線矢切駅から北へ700mほどのところにある。下矢切の西蓮寺境内に、 その一節を刻んで昭和40(1965)年5月に建立されたものである。文学碑には、門人であった土屋文明氏の題字と小説の一節が刻まれている。

「伊藤左千夫」の処女小説「野菊の墓」には、明治30年代の矢切地方の牧歌的な情景が描かれている。 何度か映画化(吉永小百合、山口百恵、松田聖子がヒロイン「民子」役を演じている)されているので、ストーリーもすっかりおなじみであろう。

ストーリーを要約すると…  
15歳の正夫と2歳年上の民子は、従姉弟(いとこ)同士である。
二人の間に芽生えた清純で幼い恋の物語が、 松戸地方の素朴な田園風景を舞台に展開していく。
「民さんはどう見ても野菊の風だ」
「正夫さんはりんどうのようだ」
というセリフはあまりにも有名。
愛の告白をした二人であったが、世間体を気にする親たちのために、政夫が千葉の学校へ遊学中に、民子は意に添わない結婚を強いられ、 嫁いでいったが、まもなく死んでしまう。民子の死を知らされた政夫は、毎日市川に通って、民子の墓の周囲一帯に野菊を植えるのであった…。
と、まあ大体こんな感じであった(と思うが…)。

今、読み返してみると何だかぽっとなってしまいそうなストーリーだが、初々しい十代の清らかな純愛と心を描いた名作である。

「野菊の墓」文学碑のある西蓮寺境内から歩道橋を渡ると、「野菊苑」がある。ここから矢切地区の田園と江戸川、葛飾区柴又が一望でき、 散策コースの休憩場所となっている。 (ここまで来れば、かの「矢切の渡し」はすぐそばだ。が、ここから江戸川、柴又あたりを…というのは、今後の取材予定地なので、 いずれ改めて詳報したいと思っています。)
【「野菊の墓」文学碑】ガイド
所在地
千葉県松戸市下矢切261
電話
047−366−1111(松戸市役所商工観光課)
047−362−3196(西蓮寺)
開園時間
終日
入園料
無料
駐車場
アクセス
JR市川駅より京成バス松戸駅行・下矢切下車徒歩約5分、矢切駅下車徒歩約10分、
北総線開発鉄道矢切駅下車・徒歩約5分

取材後記 ─ わが心、感じるままに…。

市川市の風土には、歴史の中に芸術や文化を育んできた気風が、現代に至っても、尚継承されているような気がします。 時間とともに、住む人や環境が移り変わっても、その風土に培われた気質は、市川・国府台という土地柄に根強くあらわれているように感じました。

「夢遺産」という考え方に基づく市(自治体)の取り組みもそうですが、地域のボランティア団体の方々の活動や労苦も並大抵のことではありません。 日頃はなかなか気がつきませんが、何気なく足を止めると、きれいに整備された遊歩道や階段の脇など至るところに人の優しさが感じられるような気がしました。

時間にとらわれず、あたりの風景を楽しみながらのんびり歩く…っていいな─と思います。 特に初めて訪れる場所だったりすると尚更です。時に道に迷ったりしてとんでもないところを歩いていたりすることもありますが、 こんなハプニングもまた楽しかったりします。(それに同じ場所を歩いても、四季折々の風情が楽しめるので、これもまた味わい深いものがあります。)
市川市文学散歩、のべ2日間…。紹介しきれなかったところも含め、今回はずいぶん歩いたような気がします。 おかげで、初めて目にするものにたくさん出会え、新しい発見も数多くありました。 路地裏にひっそりと咲いている小さな花、丘陵部の斜面を吹きぬける風の心地良さ…実地の体験でしか味わえない貴重な時間です。
新緑の5月、梅雨が訪れる前の爽やかな季節。
気分転換に、何かを探しに、ちょっとそこまで外出してみませんか? きっと今だけの何かが見つかるはずです。── 今が旬です。


● 南野 風さんへのご意見・ご感想はこちらまで・・・minamino@mpchiba.com

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