千葉妖怪伝説「その十八 晴明千葉伝説」
阿倍晴明、古来より名高い陰陽師である。現代においても映画や小説に引く手あまたのキャラクター(セイメイ)は、様々なオカルト的解釈がなされてきた。今回は関東における晴明の活躍にスポットをあててみよう。とかく晴明と聞くと京都を連想しがちだが、関東にもその史跡は多く存在する。
かつて友人たちと鎌倉の史跡を探索した時、八雲神社には晴明石というものがあった。元々鎌倉街道沿いの十王堂橋付近にあったものを昭和30年代の道路拡張の際に移動したものだという。十王堂つまり閻魔堂へとつながる橋を守った晴明石。まさしく冥府と現世の境界を守護したのであろうか。ちなみにこの石、晴明石と知らずに踏めば祟りはないが、知って踏むと足にサワリがあると言われている。
他にもJR横須賀線近くの五山というそば屋の近くに清明(晴明)大明神というものがあり、更に建長寺の斜め向かいの第六天には晴明の碑が現存する。「吾妻鏡」や「新編相模国風土記稿」によると、晴明が鎌倉にて火災を防ぐ呪術を施したと記されている。鎌倉が隆盛を迎える時代と晴明の生きた時代では100年以上のタイムラグがあるが、晴明の流れを汲む呪術集団が、時代の変遷と共に東国に進出してきた可能性があるといえよう。
ちなみにこれは私論だが、「晴明」の「晴」の字が「清」というさんずいになっているのは、「火ぶせの呪術」と関連あるのかもしれない。
このように関東には多くの晴明伝説がある。当然、千葉県にも晴明関連の史跡は多い。「千葉県史跡と伝説」(著荒川法勝)をひも解くと、明王山真福寺(銚子市親田)の晴明堂、川口神社(銚子市)、晴明稲荷(銚子市陣屋)の3ケ所が紹介されている。晴明稲荷は、明和元年(1764)旧暦9月13日飯沼村森田家により建立され、太平洋戦争中まで森田家によって守護されてきたという。参拝すると必ず大漁となるという晴明稲荷は大いに地元漁業従事者の信仰を集めた。なおこの稲荷は、「♪九つとせ この浦守る川口の 明神御利益あらわせる この大漁船」と歌にも歌われた。
晴明の伝説で一番興味深いのは、なんとも言っても川口神社である。明治初期まで白紙明神と呼ばれていたそうである。この神社には次のようないわれがある。
かの地にやってきた陰陽師・阿倍晴明が逗留した地元の有力者宅でそこの娘と契りを結んでしまった。朝起きて晴明はその娘・延命姫の顔を見て仰天した。顔の半分に痣のある醜い女であったのだ。驚いた晴明が逃げ出し衣服を脱ぎ、崖から飛び降りたようにみせかけた。(異説では、晴明は衣服を崖で脱ぎ、飯岡上永井村の向後主水宅の大仏壇に隠れていた。主水が延命姫に晴明はここにはいないと言った為、姫は晴明が飛び込んだものと勘違いし自らも入水したといいう)なお延命姫は夜叉の姿となり、晴明の後を追って崖から身投げしてしまったとも、入水後蛇体に変わったとも伝えられており、安珍・清姫の話との関連が指摘される。
後に、延命姫の歯と櫛が利根川河口に流れつき、哀れに思った漁師がそれを祭ったのが歯櫛明神(白紙神社=川口神社)の起源であるという。なお延命姫は漁師に申し訳なく思ったのであろうか。漁師に豊漁を与え、漁業の神として現在に至っている。前述の晴明稲荷が「豊漁の神」であったのも、この延命姫伝説と、晴明の母親・葛乃葉伝説の混合があるのかもしれない。
それにしても、都で天才陰陽師と称えられ、鎌倉では火ぶせの呪術師として崇められた晴明(或いは縁の者?!)が、女性の妄念に逃げ出すとは滑稽の極みである。いや振り返って考えると、火ぶせの神・晴明は、漁業の神・延命姫を畏れるのは必至である。火は水(漁業)によって消されるものだから…。
いやはや女の恋の炎は火ぶせの呪術も効かぬようである。
ご注意:
上記の記事は、地域情報サイト「まいぷれ」で掲載されていた「千葉妖怪伝説」というコンテンツを転載したものです。記載されている内容は、当時のものですので、現在の情報とは異なる可能性があります。ご了承ください。
まいぷれ編集部
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