千葉妖怪伝説「その二十一 お化けを語る人々がお化けである」

 山口敏太郎の仕事の基本は現場にある。イベント現場、聞き取りの現場、サイト妖怪王、メルマガ妖怪王というネットの現場、全ての現場から引き出された情報が単行本や雑誌記事に反映されている。当然、引用文献を引っ掻き回し、妖怪や怨霊を語る事もあるが、原則は現場のライブ感・現場での調査、そして、人間の証言である。

 人によっては、○○という文献にあるから、○○だ。という手法で結論を導き出す。確かにそれも一理あるかもしれない。いや学問においては正当な手段であろう。

 だが、私は文献至上主義に対してはいささか抵抗がある。そこには学者の作成した文献には嘘がないという学問への盲信がみてとれないだろうか。あらゆる盲信は危険に直結する。考古学学会に激震を引き起こした某氏の捏造事件などはその延長線上にあるといえよう。また既に数十年の時を経て、確固たる地位を得ている文献の中にさえ、捏造・曲解・誤記の部分がある可能性が高い。そして、その間違った部分による妖怪学のミスリードさえ行われている事さえあり得るのだ。

 …となると信じるものなど何も無い、という事になってしまうのだが、妖怪の場合、物理学のように結論が客観的事実として明確に出てくるわけではない。妖怪は、その証明行為を数字や物的証拠に置き換えれる分野ではないのだ。つまり、妖怪とは永遠に状況証拠で裁判を闘っているようなものである。

 そんな状況証拠による証拠固めを行っていく中で、人々の証言というのは重要な部分である。毎週のように私は人から話を聞いている。心霊体験を話す若者、伝説や世間話を話す老人、都市伝説を語る女性、そして毎日山のように読者や妖怪仲間から届くメール、毎晩鳴る全国の仲間や読者からの電話。洪水のように人々の不思議な体験が押し寄せてくる。明治の体験、昭和の体験、たった一週間前の体験。人は時代や場所が変わっても、「怪異」な体験を繰り返し、その体験を語る。そしてその体験が、第三者によって語られる事により「語り」として整備される。また、似た体験談の多いものはその地に伝説として定着し、土着性が薄く話がおもしろいものは昔話として全国に広がっていく。こうして人の口伝えにより、妖怪は進化・発達していくのだ。

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つまり、妖怪に息吹を与え、全国に暗躍させた張本人は「怪異を語る人々」である。彼らは怪異を語っているだけでなく、その再現を語りの中で行い、聞く人に疑似体験を与える。つまり、妖怪は「語り」そのものである可能性が高い。

千葉県内の聞き取りで入手した妖怪談は多い。「かまいたち」「獅子頭の怪」「船幽霊」「狐火」「狐の嫁入り」「雪とけ塚」「夜中の御神輿」「風神」等々。その語りの中から紡ぎ出された妖怪像はどれも見事であった。

 また若者たちの学校の怪談、都市伝説でも多くの妖怪が語られている。「坊主頭の男」「にゃあにゃあ姉さん」「でかちゃり」「えまにえる」「口裂け女」「人面魚」「人面犬」等々。若者たちも年配世代に負けじと妖怪を語りまくっている。

 この私のコラムも妖怪・幽霊・不思議を語り倒す事で、異界のやつらに力を与えているのかもしれない。つまり、私と読者は共犯者である。語り事、そして聞く事(読む事)は妖怪を成立させてしまうからである。そうである。妖怪はみなさんの口から、言霊から這い出てくるのだ。


ご注意:
上記の記事は、地域情報サイト「まいぷれ」で掲載されていた「千葉妖怪伝説」というコンテンツを転載したものです。記載されている内容は、当時のものですので、現在の情報とは異なる可能性があります。ご了承ください。

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